10日くらい前から調子が悪かったのです。

散歩のときに拾い食いをしたのがその頃で、それが原因で調子が悪いのだろうと、うちの親は思っていたそうです。過去にも似たようなことがあったので。

普段は、うちの親が食事やら散歩などの世話をしていて、2人が不在のときに私がその役をするというのが、実家に越してきてからの役割でした。

ですから、今回のことも「拾い食いをして調子を崩した」「そのうちよくなるだろう」くらいにしか聞いていませんでしたし、私自身、それほど心配もしていませんでした。

しかし、一向に元気にならないし、ご飯の量も極端に減ってしまい、ドライフードは口にせず、ジャーキーくらいしか食べない。
また、歩くとフラフラしているということで、さすがにこれはおかしいと、おとんが言い出し、私が火曜日に会社を休んで病院へ連れて行くことにしました。

リードを着けて、小屋から車まで一緒に歩きました。
大抵の犬がそうでしょうが、ロッキーも散歩が大好きで、リードを着けると門までグイグイ引っ張っていくのですが、このときは私のあとをトボトボとゆっくり歩くだけ。

そして、ほんの短い小屋から門までの道で、2回倒れました。
検査をして分かったのですが、ものすごい貧血症状に陥っていたそうです。

その様子から、かなりまずい状態であろうと思いましたが、きっとご飯をあまり食べていないからだと無理に思い直し、門まで来ました。

ロッキーは、私が門を開けても、一歩も外へ出ようとせず、寂しそうに私の顔を見上げるだけ。

仕方なく、抱えて車に乗せました。

開業前に着きましたが、すでに外で数人と数匹の患者さんが並んでいました。

ロッキーを車から降ろすと、初めて来た所で好奇心が出たのか、自分からよろよろと歩き始めました。

ふと急に立ち止まり、踏ん張り始めたので、さすがにここではまずいと思いましたが間に合わず、駐車場でウンチをしてしまいました。

慌てて車の中からビニール袋とティッシュを出して、後片付けをしながら思いました。特にウンチにおかしなところもなさそうだし、まだ自分で歩けたし、やっぱり食あたりかなんかだろうなと。

待合室に入ったロッキーは、しばらく周りをキョロキョロと見ていましたが、それに飽きると、席に腰掛けている私の膝の上にアゴを乗せて目を閉じ、甘えていました。その後はその場に伏せて呼ばれるのを静かに待っていました。

名前を呼ばれて診察室へ入り、台の上に乗りました。
体重は34キロ。以前は40キロを超えていたと思います。先生からもちょっと痩せているねと言われました。

診察をしていた先生が「この子はおとなしいね」と、躾が出来ているようなニュアンスで言いましたが、本当は違うんです。全然言うことを聞かない、やんちゃな子なんです。動く気力も無くしていたのでしょう。

口の中を診た先生は「よくないですね」と静かに言いました。促されて私も見てみました。本来は赤い歯茎が、薄いピンク色になっています。重度の貧血だそうです。

症状の発生時期や、予防接種、食事の量などをいろいろ聞かれましたが、そのあたりのことを知らない私はあとで調べて連絡をすることしました。ロッキーは検査のために夕方まで預かるそうで、16時ごろに一度連絡をして下さいとのことでした。

その後、おとんに連絡をして、持ち帰った宿題を病院へ伝え、16時に再度電話をすると、「説明したいことがありますので、18時ごろにお越し下さい」と言われ、その時間に病院へ行きました。

呼ばれて入った部屋は、診察室ではありませんでした。机を挟んで先生と向かい合って座り、先生が話し始めました。細かい話はあまり正確に覚えていないので、大雑把にまとめると下記のようなことでした。

血液検査の結果、貧血の度合いを示す数値が極端に正常値から離れていて、普通なら死んでいてもおかしくない。今、生きているのが奇跡という状態。また、これも極端な白血球の増加と、たんぱく質の減少などが見てとれる。

体力が極端に無いことから、すぐに酸素濃度50%の部屋で休ませ、負担のかかる精密検査はやめたので、正確なことは言えないが、症状と血液検査の結果などから推測すると、脾臓に腫瘍が出来ており、そこからじわじわと出血をしているのではないか。

助けるには手術が必要であるが、輸血が大量に必要。人間と違って血液バンクはないので、知り合いなどに声を掛けて、血液型が適合する犬を探さないといけない。目安として大型犬3頭分。

しかしながら、血液を集めている時間も、今の体力では難しいだろうし、第一、手術の負担に耐えられるとも言いがたい。もっと早い段階で診ることが出来たら違ったのだろうが、現実的には極めて困難という結論。

ひと通り説明を終えた先生は言いました。

「家に連れて帰りますか?」

それは、静かに死を待つということ。ロッキーの死を受け入れるということ。

手術すれば万に一つの可能性はあるかもしれない。

私は答えました。

「はい、連れて帰ります」

この判断が正しかったのか、今でも分かりません。
先生は、酸素室から出すだけで死ぬかもしれないし、帰りの車の中で死ぬかもしれない。そんな状態だと言いました。

しかし、その後3日間ロッキーは生きました。

もし、手術に踏み切っていれば・・・という思い、正しい判断をしたのだろうかという疑問は、今しばらく私の心の中に残り、胸を締めつけることでしょう。

部屋を出た私は、駐車場に出ました。
ロッキーが死ぬなんて、これっぽっちも考えたことがありませんでした。

私は駐車場で泣いていました。
意味もなく車のドアを開けたり締めたりして。

待合室に戻ろうと思っても、ロッキーにどんな顔をして会えばよいのか分からず、何度もドアの前まで行っては、暗闇の中へ戻っていました。

ようやく心を決めて受付へ行き、会計を済ませました。
“ロッキーちゃん” と書かれた診察券を渡されました。もう、使うことのない診察券。

先生の案内で、診察室の奥へ通され、酸素室に入っているロッキーに再会しました。
大丈夫かなと不安そうに言いながら、先生がドアを開けると、早く出たかったのか、ロッキーが自分から出てきました。大丈夫です。

ロッキーと一緒に、ゆっくりゆっくり進んで行きましたが、駐車場で座り込んで動かなくなりました。朝と同じように抱きかかえて車の前まで行き、ドアを開けて、もう一度抱え上げたらおしっこをじゃーっとしました。手も服も、車も汚れましたが、気になりませんでした。

運転席からロッキーの姿は見えないので、時々聞こえる息遣いや、体を動かしたときに出る摩擦音などに安心しながら、もうすぐ家に着くからと声を掛けながら帰りました。

帰宅するとおとんが迎えに出てきて、ロッキーをリビングに連れて行きました。

私はもう限界だったので、食事をしてすぐに2階へ上がりました。

時間をかけて落ち着いてからリビングへ戻ると、「ロッキーと一緒に寝る」と言って、おとんが布団を敷いていました。

翌朝、私が起きると、ロッキーは小屋に戻って寝ていました。おとんとおかんで運んだそうです。
今朝もやはり食欲はなく、ジャーキーを2本くらいしか食べていないと聞いたので、試しに私の焼いた食パンを持っていき、ちぎってあげてみました。

ぱくっと食べました。
またちぎってあげると、ぱくっと食べます。

私のパン、美味しかったのかな。

ロッキーがご飯を食べたのはこれが最後でした。その後は、少しだけ口にするくらいで、最後は何も食べなくなりました。

この日の夜も、おとんはロッキーと同じ部屋で寝ました。

木曜日になると本当に動くことが減りました。動くのは目だけで、尻尾も振れなくなりました。それでも本能なんでしょう、自分の寝床は汚したくないので、おしっこの時だけは、よろよろと立ち上がって、少し離れたところでおしっこをし、また倒れこみます。

この日の夜は、外でそのまま寝かせることになりました。私も賛成しました。人が近くにいるとゆっくり休めないと思ったのです。そして、それはその通りだったようで、次の日の朝(今朝)、息をひきとりました。

私が最後に会ったのが、午前0時頃。
おとんが最後に会ったのが、午前3時半頃。

この世で最後に会ったのはおかんでした。
おかんは、7時少し前に水を飲ませに行きました。

ロッキーは少しだけ水を飲むと、大きな呼吸を5、6回して、静かになったそうです。

今日は、おかんの誕生日。
ロッキーはおかんにおめでとうを言いたくて、今日まで頑張ったのでしょうか。

ロッキーが天国へと旅立ち、大きくて深い悲しみに襲われていますが、心のどこかでホッとした部分もあります。

あれだけ活発だったロッキーのことですから、自分の体が言うことを聞かないというのは、かなりのストレスであったと思います。それに病からくる相当な痛みなどもあったのではないでしょうか。

ここ数日間、ロッキーは本当に辛かったと思います。見ていることしかできない私たちも苦しかった。

でも今は大丈夫。ロッキーは痛みや苦しみから解放され、今は天国でのびのび走り回っていることでしょう。そう思って、私は少し安心しているのです。

悲しいけれど、今はもう大丈夫。

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